【日大アメフト問題】加害者も被害者も監督もコーチも親も、まずそれぞれの倫理観を考えよ

とても誠意ある会見だった。

故意にタックルを行った選手が、当時の状況を自分の言葉で語った。

監督やコーチからの生々しい言葉を並べていたが、それ以上に感じたのは、タックルを受けた選手への謝罪の気持ち。

それと、自身の後悔の念。

タックルをした20歳の日大生

「1プレー目でつぶせ」

「できなかったじゃすまされないぞ」

監督やコーチから、生々しい指示があったようだ。

もしも監督やコーチが「故意にタックルしろ」という意図を持って指示をしていなかったとしても、受け止める側がこのような受け止め方をするのであれば、

監督もコーチも、指導者として失格である。

伝えたいことははっきりと伝えればいい。

伝えたいことを端的にはっきりと伝えることは、指導者として求められる能力だ。

まわりくどい言い方で様々な解釈ができるような伝え方しかできないなら、監督もコーチもすぐに指導者をやめるべきだ。

 

ところで、タックルをした日大生は、いかにも監督やコーチからパワハラを受けた被害者のようになっている。

たしかに、相当なプレッシャーだっただろう。だが、彼は20歳。善悪の区別はつくはずだ。

彼自身に善悪の区別ができるからこそ、このように自分自身で謝罪し、会見までしている。

いくらチームの中で絶対的な存在である監督の指示であっても、超えてはならない一線がある。

これは、Me Too問題とどこか似ている。

Me Too問題においても、辛い思いをされた方々がたくさんいる。

だが、少なくとも「仕事のためにそうせざるを得なかった」というのは、理由にはならない。

日大アメフト問題にしてもMe Too問題にしても、僕が言いたいのは「被害者も悪い」ということではない

僕が言いたいのは、加害者も被害者も、一人の人として、それぞれの倫理観をしっかり持つことが重要だということである。

スポーツにおいて言えば、例えば故意に怪我をさせるようなプレーを指示するなんて、日常茶飯事だ。

Me Too問題に似たような状況としては、例えば何かの目的のために体を売るというような局面。

パワハラやセクハラをした側は、当然排除される。

そして、そういった問題が起きないよう、一人一人の行動は自制される。

だが、その中でより小さな、これまでは問題とはならなかったような些細な行動が、パワハラやセクハラと言われるようになる。

そうすると、今度はパワハラやセクハラだと訴える側が過度になり、逆パワハラや逆セクハラみたいになる。

この繰り返しになり得ない。

そして、一番問題なのは、加害者側が行動を自制しても、セクハラやパワハラがなくなっていないことにある。

これは人間の心理である。

人間は、何か欲求が満たされると、より下位の欲求を満たそうとする

だからこそ、一人一人が倫理観をしっかりと持つべきだと僕は考える。

加害者も被害者も、あるいはどちらでもない人も、いつか加害者や被害者になるかもしれない

そうなったとき、自分の行動や言動が相手にどのような影響を与えるか。

そういった事を一人一人がしっかりと考えるべきだ。

日大アメフトやMe Tooだけではない。

大相撲の八百長や野球賭博、極端に言えば、殺人や強盗だって同じことが言える。

人は何か強い欲求があると、まわりが見えなくなる。

そうなったとき、視野を広げてくれるのが倫理観だと思う

日大アメフト問題に関しては、加害者側だけでなく被害者側にもひっかかるところがある。

親が出てきたことだ。

しかも、被害者の親は大阪市議。

社会的に影響力がある。

そして、また論点がずれる。

この日大アメフト問題に、「親としての憤り」とか、そんなものは関係ない。

もちろん、僕が被害者の父親だったら、憤りを感じるだろう。

だが、この行動もまた、社会にどのような影響を与えるのかを無視した行動だ。

日大アメフト問題に、親の意見は関係ない。

その親が大阪市議ともなれば、会見の内容にもより社会的な影響力が出る。

だが、それが何の解決になるのか。

ニュースを見れば、取り上げられているのは監督やコーチの指示があったかどうかと、被害者の親が憤りを感じているということ。

これだから、倫理観が養われない。

加害者となった日大生は、社会に対して自分自身の言葉で事実を伝えた。

この過程で、いろいろなことを考えただろう。

だが、被害者となってしまった学生も、加害者と同じ立場に立たされるかもしれない。

故意に怪我をさせるようなプレーを要求されるかもしれない。

だから、加害者と被害者をはっきりさせて、誰に責任をとらせるかを決めても、何の解決にもならない。

本当にやるべきなのは、普段から倫理観を持って行動すること

何か起こってから、あるいは時が経ってから事実を公表することではない。

こんなことを書きながら、僕はミスチルの「タガタメ」という曲を聴いている。

ご存知の方も多いだろう。

まさに、この曲の歌詞通りだ。

少し引用してみようと思う。

まずはサビ。

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?

 

歌:Mr.Children

作詞:桜井和寿

作曲:桜井和寿

「まず何をすべきだろう」まさにこれだ。

まず何をすべきかを考えなければならない。

多くの場合、考える前に社会や親が動き出す。

そして、2番のAメロ。

左の人 右の人
ふとした場所できっと繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ

 

歌:Mr.Children

作詞:桜井和寿

作曲:桜井和寿

人は人との繋がりで成り立っている。被害者と加害者に分かるだけでは、問題は解決しないはずだ。

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