優生保護法について思うところ

旧優生保護法により、強制的に不妊手術を受けた方々の一斉提訴が話題となっている。

知的障害や精神疾患を持つ者は子を産むべきでないという考えのもと、強制的に子供をつくれない体にされたそうだ。

優生保護法があった時代を生きていない僕は、優生保護という言葉を見ても、あまり悪いイメージを感じない

なぜなら、優生の「優」という言葉は、「優しい」というイメージを連想させるからだ。

優しく生きることを保護する。

このように捉えると、全く悪いイメージは湧かない。

ところが、優生保護の優は、優しいではない。「優」という文字が指すのは、優劣の優である。

優生という言葉は、優生学に起因するようだ。

優生学は、人類の発展と向上のため、人種改良によって社会を改良しようとする応用化学の一つだという一説がある。

だから、優劣保護という言葉をこのように言い換えてみると分かりやすい。

劣生排除

もしくは、

保護

優性保護はポジティブな言葉ではなく、

遺伝子的に優っている者を保護するため、劣っている者が増えないようにするという考え方のようだ。

こんな考え方や法律は、ノーマライゼーションという概念が広まりつつある現代では、絶対に受け入れられない

ノーマライゼーションというのは、ハンディキャップを持つ人もそうでない人も、互いに区別されることなく社会生活をともにすることが望ましい姿であるという概念。

どのようなハンディキャップを持っていたとしても、一人の人間として、それぞれの基本的人権が尊重されるべきだ。

現代社会では、このような思いを持つ方が大多数だと思うし、そうであってほしいと思う。

旧優生保護法に関する一斉提訴をした方々は、当然高齢の方々ばかりだ。

ニュースを見たとき、僕は「なぜこんな歳になって提訴したのか」と感じた。

だが、提訴された方々は、子供をつくれない体であるということを誰にも告げられずに生きてきたと聞く。

提訴することそのものが、とても勇気のいる行動であり、簡単にできることではない。

それでも、残りの人生を考えたとき、

強制的に子どもをつくれない体にされ、負い目を感じながら生きてきたという事実を抱えたままではいられなかったのだろう。

僕には想像もつかない、とても辛い人生だ。

どのようなハンディキャップがあるにせよ、人権は侵害されるものではないし、守られるべきである。

だが、僕はもう一つ思うことがある。

それは、何らかのハンディキャップや精神疾患を持つ人が犯罪を起こしたときの、社会的責任についてである。

「精神鑑定の結果、責任能力を問うことができない。」

こんな言葉を耳にすることがある。

誰しもが基本的人権を守られるべきであるとともに、社会的な責任を負うべきであると思う。

基本的人権は守られ、責任は免れる。

いくらハンディキャップを背負っていても、こんなことはありえないと思う。

ハンディキャップを持つ人たちの人権と責任。健常者と同じように区別されることのない社会生活。

これを達成するために、僕は一人の健常者としてどうしたらよいか。

僕は、ハンディキャップを持つ人より優っているわけではない。

そして、ハンディキャップを持つ人は、僕より劣っているわけではない。

だが、生きていく上で、やはりハンディキャップにより不自由を感じる場面がたくさんある

このような場面を、しっかりと支援しなければならない。

支援するのは、間違いなく僕のような健常者である。

個人的な意見や思いなので、気分を害された方がみえたら、大変申し訳ありません。

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